【母親との体験談】私は継母と実母の両方と関係したことがあります

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私は、継母と実母の両方と関係したことがあります。

更に継母が産んだ弟の父親は私です。

私の実母は私が小学校6年の時に離婚して出ていってしまいました。

当時母36歳、父48歳でした。

翌年やってきた新しい母は24歳でした。



49歳の父はこの若い継母と不倫して、実母は略奪されたのです。

当時は、母は私を捨てて出て行ったと思っていましたがちがいました。

中学生の私にはよく理解できていませんでした。

継母が25歳も年上の父と再婚したのは、父の財産(土地持ちでした)目当てだけでなく、継母は私も目当てでした。

父は糖尿病で、再婚した頃からSEXに支障を来たしていたようで、継母には、息子を自由にしても良いという約束があったのでした。

私が継母と初体験したのは平成2年、15歳の夏、中3でした。

父が1週間不在のとき、継母が私の入浴中に入り込んできて、当時26歳の裸体を思春期の少年に開放したのでした。

優しくペニスを洗われて完全誇張しました。

継母は、私の部屋で女性器を露にし、私に解説しました。

コンドームを取り出し、使用方法や装着時の注意を聞かされ、自分で装着しました。

継母の膣内に挿入し、たしか3分と持たずに射精してしまったと思います。

父が帰宅するまでの間、朝、夕、就寝前の一日3回、継母とSEXしましたから、初体験から1週間で20回というスピードでした。

父が帰っても、

「お継母さんとエッチなことしていいから、どんどんしなさい。」と言われ、クンニや様々な体位での挿入後の動きを徹底的に仕込まれました。

高校生になった頃には、私はすっかり継母好みのセックスマシーンに仕上げられました。

この頃には膣外射精も仕込まれて、最も危険な日以外は生挿入でした。

私は、好きな女の子ができましたが、男女交際など許されるはずもなく、継母の性欲の捌け口にされていました。

週に1,2回、私は父の前で継母とセックスさせられました。

私に突かれながら継母は父のペニスを咥えました。

やがて、父のペニスは挿入可能な程度に勃起し、私を押しのけて継母に挿入しました。

そして、3分くらいでまた萎えて、最後は私と継母の結合部分を眺めながら自分でしごいて萎えたペニスからダラダラと射精していました。

私が高3の夏頃、29歳の継母は子供を欲しがりました。

当時54歳の父は、私に中出ししろと言いました。

その日から毎日継母の膣内に射精していました。

秋も深まった頃、継母は懐妊、父の子供として翌年男の子が生まれました。

私はその知らせを東京のアパートで聞きました。

私は、故郷を逃げるために全て東京の大学を受験しました。

私は、父から教えられた埼玉県南部の住所を訪ねました。

実母の居場所です。

私は継母との関係に精神的に疲れていました。

セックス自体は気持ちいいし、若いのですぐ溜まってしたくなりましたが、終わった後が虚しかったのを覚えています。

私は、母に癒しを求めていました。

7年ぶりに会った母は43歳で、私のアパートより古いアパートで一人暮らししていました。

母は私を見て泣いていました。

母はこんなに小柄だったとは思いませんでした。

別れた頃、私は小学生でしたから、私が成長したのです。

母から聞いた事実は、父は42歳の時当時高2の継母の処女を買ったそうです。

値段は知りませんが…それ以降、継母と今で言う援助交際が続き、やがて二人とも本気になって、6年後に母が捨てられたのでした。

母は仕方がないと言いました。

母は私を産んだ後何度か流産し、妊娠出来なくなったそうです。

そして母は今、父から送られてくる生活費には一切手を付けず、ビルの清掃をして暮らしていました。

私も、母が出て行った後のことを全て話しました。

私は母を抱きしめ、押し倒し、キスをしました。

母はなぜか拒まなかったので、母のズボンとパンティを脱がし開脚しました。

そこには、19年前私が通り抜けた膣口がありました。

母の女性器はとても綺麗で、ピンク色でした。

継母の女性器はビロビロで真っ黒でした。

3年半の間毎日、夏休みには一日2,3回していましたから私のせいかも知れません…

母はニッコリ微笑んで上半身も脱ぎ始めました。

それは、息子に抱かれることを望んだ行動と解釈し、私も全裸になって母に抱きつきました。

母は華奢な身体で、苦労したんだろうなと思わせました。

「昇一、遠慮しなくていいのよ。昇一に抱かれるなんて母さん幸せだわ…」

私は母の淫核を指先で転がしました。母は目を閉じて、

「はあー」

と色っぽいため息を付きました。

母は既にかなり濡れていました。私は、母にゆっくり挿入しました。

「何年ぶりかしら…お父さんと別れる3,4年前から夫婦の交わりはなかったから、10年ぶりくらいかしら…」

小柄な母は膣も浅く、私のペニスが子宮まで届きました。母は、

「お父さんより大きいんじゃない?」

と言いましたが、父の完全勃起を見たことがないので分かりませんでした。

母が感じる場所は継母より手前にあり、継母に教えられたように、下から上に突き上げるように押入れ、カリで削るように引き出しました。

「くはあああー」

それまで、

「はあ、はあ」

と喘いでいた母が声を上げて弓なりになって、

「う、ううっ」

と唸ってぐったりしました。私は母が可愛く見えて、抱きしめて髪を撫でてあげました。母は、

「昇一は若いのに上手ね。継母さんの教育が良かったのね。」

あれは子供に対する教育ではありません。女ロリコンです。

「昇一はまだ果ててないでしょう。」

そう言って母は股を開きました。私は、母の愛液で真っ白に泡立ったペニスを再び母に挿入しました。

「あああー」

と喘ぎながら、母は、

「母さんに構わず果てなさい。母さんの中で果てなさい。」

私は母の子宮まで挿して、かつて自分が形成されたその場所に精子となって帰りました。

 帰り際、母は私に1万円を握らせ、

「お小遣い」

と言いました。

「足りているから大丈夫だよ。」

私は、苦労して生きている母から、とても受け取れませんでした。

私は、大学の4年間、母が恋人でした。

毎週末、母を抱いて過ごしました。

故郷には一度も帰りませんでした。

私は、都内の企業に就職しました。

母は仕事を続けたいと言うので、板橋区の埼玉県境近くに転居し、母を呼んで二人で暮らし始めました。

母は47歳になっていましたが、私は週3,4回母を抱いていました。もちろんいつも中出しでした。

年に1回、私は母を旅行に誘いました。

私の車は小型のハッチバックで、荷物はかなり積載可能ですので、1週間くらい旅しました。

母の清掃会社は年配の従業員が殆どのせいか、福利厚生の一環で全国各地の和風温泉旅館の宿泊割引が利くのです。

当然私と母は、夜は交わります。

いつもと違う環境で、部屋の回廊にある籐椅子に母を跪かせ後ろから突いたり、幼児にオシッコさせるように後ろから母を抱き上げて交わり、その姿を脱衣所の鏡に映して恥らう母の表情を愉しんだりしました。

母は大声で喘いでイキました。

旅行中、母は毎日潮を吹いてイキまくりました。

「ああ、はしたない。」

と言いながら、夜になれば私に股を開きました。

翌日、母の吹いた潮と私の精液の滴りの跡を見た全国の旅館の従業員達は、仲の良い母子に何を思ったでしょう。

平成14年の春、継母から「父死す」の連絡がありました。

学費を払ってくれたのにもかかわらず、ずっと帰ってませんでしたから、死に目に会えなくても文句は言えません。

継母は、相続手続きのために私を呼んだのでした。

8年ぶりに会った継母は、37歳になっていました。

実は私の息子で戸籍上の弟は、今度小2でした。

私がお土産に買ってきたポケモングッズを嬉しそうに並べていました。

私は、もう故郷に帰る気はありませんでした。

私は、大型店舗に貸し付けている土地の収入があれば継母親子も生活できるであろうから、その土地と住まいは継母親子に相続させ、固定資産税の負担の多いその他の土地を私が相続して、叔父と叔母に売却しました。

金融機関の手続きも含め全て私がしました。

継母は私にとても感謝して、国債や株券等の有価証券は自分が持っていても分からないからと全て私に委ねました。

更に、それにまつわる配当等を受ける口座等相続税が発生するギリギリまで相続させてくれました。

「一周忌や三回忌には来ません。もう会うこともないでしょう。」

と告げると、「お別れに1度だけ抱いて欲しい」

と言われ、帰京する前夜濃厚に交わりました。

8年間継母はセックスしていなかったそうです。

父と何度か挑戦したがダメだったそうです。

そのうち興味がセックスより子供の成長に変わってしたいと思わなくなったと言いました。

でも、私に会ったら…

継母に習ったクンニで一度継母をイカせました。

継母の黒い陰唇が懐かしく思えました。

継母は私のペニスを見て、

「まあ、立派になって。彼女は?結婚しないの?」

母親らしいことを訊いて来ました。

私は何も答えず、継母の膣内を掻き回していました。

継母は息子に聞こえないよう配慮してるのか歯を食いしばって声を抑えていましたが「い、イキそう…昇一、中に頂戴!」私は帰郷してからずっと溜まっていた精子を継母の膣内に放ちました。

「大丈夫ですかね…」

「分からないわ。でも…」

「でも?」

「なんでもないわ…」

継母は涙を流していましたがその真意は分かりませんでした。

母と関係を続けて13年が過ぎ、私は32歳になろうとしていました。

55歳の母は、私が結婚しないのは自分のせいだと考え初めていました。そんな時、

「昇一、今度の休みお買い物付き合ってくれない?」

「いいよ。」

詳しく聞かなかった私は、当日二人だけじゃないことを知りました。

私の車には母の同僚の新関さん母娘が乗り込んで来ました。

「娘の智美です。今年私と同じ清掃会社に就職したんです。」

幼いので高校生かと思ったら社会人でした。

その次の週、今度は新関さん母娘が訪ねてきました。

「今年の旅行は一緒に行こうかと思って…」

母はとんでもないことを言いました。

私が毎年楽しみにしている母を変態的に抱ける和風旅館巡りに他人を同行させるのは嫌でした。

まして14歳も年下の若い娘さんと一緒は勘弁して欲しかったのです。

でも、3人はニコニコしながら計画を立てていました。

結局4人で3泊旅行に行きました。

智美ちゃんは可愛い娘で、この旅行で私にすっかりなついていました。

私も何だか妹が出来たようでした。

新関さんは母子家庭で、智美ちゃんの下に寮制の高校に通う弟がいました。

経済的に苦しく進学させてやれないと智美ちゃんの母親は言いました。

就職も正社員は困難で、母親の勤める清掃会社に就職したそうです。

智美ちゃんの次に若い方でも40代ということでした。

私は智美ちゃんのメル友になっていて、毎日、夜になると智美ちゃんから一日の出来事を報告するメールが来ました。

彼女は毎日健気に働いていました。

私は冬のボーナスでPCとプリンタを更新したので、PCを持っていなかった智美ちゃんに古い物を譲りました。

PCは3年前、プリンタは6年前の物でしたが、購入当時はハイスペックだったのでお古でも十分使えました。

智美ちゃんはぴょんぴょん跳ねて大喜びしていました。

年が明けて2月、智美ちゃんから本命チョコをもらってしまいました。

「昇一さんを好きになってしまいました。高卒でお掃除屋さんの女の子がまともに相手にしてもらえるとは思いませんが、気持ちだけは伝えたくて…気にしないで下さいね。」泣けて来ました。

何も14歳も年上のおっさんにと思いました。

結局私はこの1年後、智美ちゃんと結婚しました。

智美ちゃんは1989年3月、平成生まれなんです。

智美ちゃんの20歳の誕生日に式を挙げました。

私は1年間、智美ちゃんとはプラトニックな間柄でした。

抱き合ったりキスはしましたがSEXはしませんでした。

そしてこの1年の間に、母を抱く回数を段階的に減らし、結婚式の前日、最後のSEXをしました。

「昇一が結婚してくれて良かった…この年まで殿方に抱かれて幸せだったけど、母さんも還暦近いし、体力的にしんどいわ…明日からは智美ちゃんにバトンタッチね。」

そう言って微笑みました。

翌日、披露宴の後、あまりにも可愛く幼い新妻なので、二次会で同僚達に散々からかわれました。

まさかまだ身体の関係が無いとは誰も思っていませんから、何歳の処女を奪ったのか白状しろと詰め寄られて大変でした。

初夜、智美ちゃんは一糸纏わぬ裸身で浴室から出てきました。

綺麗でした。透き通るような白い肌の小柄な身体は、まだ子供でした。

小柄な智美ちゃんは、何となく母に似ていました。

クンニには身体を固くして声を必死で殺していました。

この日、智美ちゃんは初めて私のペニスを見て、

「うわあ。こんなに大きいものが入るんですか?女の子は、好きな人のオチンチンをペロペロするんですよね。」

そう言ってリコーダーを吹くように竜手で握ってにフェラをしました。

あまりの可愛さにゴクッと唾を飲み込んでしまいました。

何せ私は処女は初めてでしたから、智美ちゃんに挿入するとき、なかなか入らず苦労しました。

ゆっくり挿入し、新妻の20歳の処女をもらいました。

人生3人目で最後の女性は、初めての年下で、初めての処女でした。

痛いだろうに智美ちゃんは必死で我慢していました。

健気なその姿が愛おしくて、たくさん抱きしめて智美ちゃんの初めてをを味わいました。

まだ子供は早いと思い、智美ちゃんのお腹に射精しました。

智美ちゃんは射精を初めて見たらしくびっくりしていました。そして、

「これ、私の中で出したら赤ちゃんできるんですね。」

そう言って精液を手に取って眺めていました。

「私、昇一さんとセックスしました。やっと妻になった実感がわきました。私みたいな女の子をお嫁さんにしてくれてありがとうございます。一生懸命頑張りますから、絶対に浮気はしないで下さい。お願いします。」

こんな健気で可愛い妻がいて、誰が浮気できましょう…私は新妻を抱きしめました。

結婚して2年半、智美ちゃんは母子家庭だったせいか、家事を完璧にこなすいい妻です。

SEXは今でも恥らいますが、声を上げてイクようになりました。

私は、恥じらいながらも性の悦びに可愛く喘ぐ智美ちゃんを、週末の夜は、Gスポットを集中攻撃して大乱れさせます。

イキまくった後、智美ちゃんは恥ずかしそうに私に抱きつきます。

そして翌朝、同居の母に、

「昨夜はうるさくしてすみません。」

と謝る可愛い嫁に、

「幸せの声なんだから気にしないの。」

と言われています。

私は間もなく36歳で父親になります。

智美ちゃんは22歳の若いママになります。

今、SEXはお預けで、智美ちゃんに、お口と手でしてもらってます。

「私だけの精子なんだから、私以外で出さないでね。」

可愛い智美ちゃんに言われるので、結婚以来オナニーもしたことありません。

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